気ままに自由にのんびりと~(*´д`*) リアルもちらほら・・・ 

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さっそく転載w

かいつまんで載せていこうw

「大きな岩とたった1度のケアル」
というフラッシュ、御存知でしょうか?
ワタクシ・こないだ見ました
知らない方にはコチラからw⇒http://www.gametube.jp/

感想といたしましては
なんと申せばよいか悩むですねぇ(--;
感動と言うより悲しみと言うか(--;
ワタクシの場合・3年ほど前に母親を癌で亡くしておりまして
同情とかではなく、自分のコトを思い出して
寂しさが出てきたのが正直なトコですかねぇ・・うむ。

と・いうことで
おそらく後にも先にも ワタクシの母親のコトについて
書くのは無いだろうから
書いてみようかな・・・

自分は小さい頃から祖父母に預けられ育ってきた
お袋が祖父母の家で暮らし始めたのはオレが二十歳過ぎた頃
それまで一緒に暮らした記憶は殆ど無く
思い出もこれといって 何も無い
子供の頃は お袋を恨んだこともあった
かなり恨んでたなぁ

2000年6月頃・親戚から電話が来た
オレはその頃、実家じゃなくアパートに居たから
祖母やお袋の状況はあまり知らなかった

電話の内容は
「お前のお母さんが手術を受けるんだがお前も付き添うか?」
という内容だった
(*゚ー゚)?手術?おぃおぃ・何の話だイキナシ!!
詳しく聞くと病名は
「乳がん」だと言われ、早く処置しないと転移するらしい
乳がんそのものの位置がリンパ腺に近いだかなんだかで
やばいらしい・・
返事は「付き添う!」と言って病院へ向かった

手術の予定日を聞いて それに合わせて有給も取り
お見舞いに行ってたりしたけど
お袋はいつも気丈に振舞っていた
「心配すんなΨ(`∀´)Ψ」と逆に励まされたりもした

医師の話では
患部を取り除いてみないと先のお話が出来ないと言う
リンパに乗ってってしまえば 次の再発が
どの部分に出るかさえも分からない
ましてや脳に行ってしまえば最悪な状況になると・・

そして手術は無事終わりその後に医師から呼ばれ話を聞いた

「大変残念なことですが、リンパに乗ってしまってます・・」
何年後にどの部分に再発するか分かりません
御家族の皆様は、覚悟しておかれた方がよろしいかと思います
今後は様子を見ながら(取り覗いた患部に)放射線治療など施して
同じ箇所に再発しないようには努めますが・・・」

オレのクチからは お袋には言えなかった
不安をやっと吹き払ったかのような顔をしてたお袋に・・
そして話を聞かずお袋にずっと付き添ってた祖母にも言えんかった・・
1年が過ぎ・2年が過ぎ・そして3年目が過ぎて
知らないうちに不安が消えてた頃


・・・・ソレは急に訪れた・・・・
親戚から電話がありお袋は入院してるという
病院に向かい医師に呼ばれ話を聞くと
片方の肺が正常に機能しなくなってると言う・・・
恐らく放射線治療の影響によるものだろうということだった
暫く治療して様子を見ましょう と。病名は放射線性肺炎・・

コレは仕方が無いな・・と思い数日が経ち
またもや主治医から話があると呼ばれた
長男であるアナタに話があると・・・
なぜ「長男である」と言う言葉が出たのだろう?
そう思いながら病院に向かった
「前回・そして今回と肺のレントゲン写真取りましたが
やはり殆ど機能しなくなってきてます・・
しかしホントに重要なお話はこれからですが
どうも気になる陰が見えるのです
それは前回よりも今回の方が明らかに多くなってます
検査はまだですが
内科としての経験から申しますと肺癌の疑いがあります
いずれしっかり検査してから
またお知らせしますので来週の今日辺り、また来てもらえますか」

自分の中で不安と「まだ検査結果出てないから信じよう」との思いが
交錯し落ち着かない1週間を過ごした

翌週
「検査結果ですが・・・
お母さんは残念ながら間違いなく肺癌でした・・
そして医師として長男であるアナタに酷なことを聞いてしまうことですが
今後の治療法は二者択一しかありません
先に理由を述べますが
肺の方と癌の治療は同時には出来ません

癌の治療として手術をした場合
肺炎の影響で手術自体、体力的に持たない可能性が強い
かつ抗がん剤で投薬してても
非常に副作用が強い。その副作用と言うのが
健康な人が使った場合、肺炎にかかりやすく
元々肺炎の人に使った場合、命縮めることになりかねない可能性がある
実際、当病院でも使った経緯は無く
そう言う話も聞いたコトが無いので申し訳ないんですが
どうなるのか分からないと言うのが本音です。

肺炎の治療を続けた場合
予想できることでしょうけれど、癌の進行は止めれません
ただ呼吸困難はある程度解消できるでしょう・・
いずれにせよ先ほど話した通り、両方の治療というのはできません・・」

「すみませんが来週まで時間をくれませんか?」
オレにはその場で返事はすぐ出せなかった
その足でおふくろの見舞いに行った
俺の顔を見て何かを感じたのか。いきなり


「私・癌でしょ?」

血の気が引いた・けど
「あ?w何言ってんだよw肺の方の治療結果とか話してただけだってw
まぁちっと時間はかかるかもしんねーーけど
治るのも治らないのも本人の気持ち次第だから
自分で早く治すぞー!思わなきゃダメだぜ?w」とウソをついた

次の週になり親戚と話し合ってでた結論は
「肺炎の方の治療を優先してください」とお願いした
幸い癌の方はまだ初期程度だったから
肺炎の治療でなんとか体力も回復させてから癌の治療に移行
というのが主治医の話もあり それに同意した

しばらくしてお袋が熱を出した
それが数日続き検査結果として主治医から
「予想以上に癌の進行がはやい;若い分早いのだろう
ほとんど猶予は無いくらいで、明日から癌の治療に変えようと思いますが
家族の方の意見として何かありますか?」

「抗がん剤適用するというコトですか?」と聞いた
主治医は「それしか残っておりません・・」
オレ「髪の毛抜けたりするんですよね・・」
主治医「えぇ・薬が効いてるというコトでの副作用の症例として出ますね」
オレ「ではお袋に癌であると言う事実を
 伝えないといけない訳ですよね・・」
主治医「そういうコトになりますが・・
 伝えにくいというコトであるならば私の方から伝えますが・・・」
オレ「いえ・長男としてオレが伝えます・・・・・」
主治医「では・・・・これもアナタに伝え無ければなりません

 抗がん剤はあくまでも進行を抑える薬です
癌を体の中から無くす薬ではないのです
ただ人によっては治療として効果ある方も居ますが
それはやはり使ってみないと分からないのです。
あくまでも進行を抑える薬だと覚えていてください・・・・」
オレ「分かりました・・・」

正直お袋の顔を見るのは辛かった
でも・・・なんでか分からんがオレが言うしかないんだと思った
そしてお袋の病室に入りソレを告げた
お袋は・・あぁやっぱりか・・という反応だった
でもオレは「治らないってワケじゃない
お袋自身が頑張らんと治るモンも治らんよ!オレも出来うるサポートは
なんでもやっから諦めんな!一緒に頑張るべ!闘うべよ!!」
お袋に言ってんだか 自分に言ってんだか分からんかったよ・・

その帰りの中
オレはお袋に死刑宣告をした気分に陥った
不安がってた人間に・お前は癌だ!と言ったのだ
罪悪感だけが体の中で充満してたようだった・・・

日が経つに連れ
酸素マスク無しではいられなくなり・・
顔も腫れあがり、髪の毛も抜け始め・・
主治医からは「薬が効いてますが・・癌の進行・成長は早い
今使ってる抗がん剤ではそろそろ止めれなくなります・・
今現在は1種類ですけど様子によっては2種類使おうと思っています」
オレはただ・・ただ「お願いします・・」としか言えなかった・・
後はオレに・・お袋に対して何ができるだろうか・・・
不安も迷いも顔には出ないように・テンションもちと上げて
会いに行って少しの会話の中に励ますことしか出来なかった

そして2種類の抗がん剤でもお袋の痛みは消えず
医療麻薬・モルヒネを使わざるを得ないと主治医から言われた
いろんな人たちから聞かされてたから・今後どうなるかというのは
予想はしていた
モルヒネによって普段は寝てるけれども、一旦薬が切れてしまえば
暴れてしまうほどの激痛が本人を襲うと・・・

普段お見舞いに行くと静かに寝ていたのだが たった1度だけ
薬が切れてしまった時に居合わせてたことがあった
看護士さんが数人がかりで抑えながらもお袋の言葉は
「ごめんな・・・頑張るから・・息子と約束したから・・!
諦めないから・・・!闘うから・・・・・!!
・・・もう少しで 大人しくするから・・・!!!」

想像を絶する痛みに顔を歪めながらも 絶叫することも無く
オレがその場に来てたのかさえも分からなかったろうけど
お袋は「闘って」いた
あれは・・・・何年経っても・・・・忘れられない

それから暫く月日が経ちお袋は息を引き取った
ずーーーーっとその日病室に居て、たまたま 
ちょっと家に戻ったほうがいいって言われて
その1時間後かな・・・電話が来た

車を飛ばし病院について エレベーターじゃ時間掛かるから
階段ダッシュして病室に着いたけどおそかった・・
時間を聞いたら3分前に引き取ったらしい・・・

死に目には会えなかったけど
やっと痛みから解放されてよかったなと・・そう思った
葬儀などはオレが喪主をやり
親戚の助力もあって終わりに近づいた頃
ある方から
「○○クン(オレの本名)・・頑張ったなぁ・・」

その一言でオレは初めてお袋に対して泣いた
我に返ったというのか、そんな感じで
泣いてるトコ誰にも見られたくないから
1人になって泣いた
もう・・・会ったり話したりすることはゼッタイにできないんだ
もっと・・孝行すればよかった
後悔先に立たずとは・・・こういうことかと・・
2003年9月9日 お袋 臨終

でもお袋は命を通して俺に教えてくれた
あの絶望に近くて激痛に襲われてた時でさえ
自分の意思をしっかりもって最後まで諦めない姿・・
オレがコレから先、何があってもお袋のあの姿が
オレの背中を押してくれると思う
時には「なんだオマエ・そんなもんか?オィオィw」なんて
笑われることもあるかもしれないwお袋からw
「母としてお前に何もしてやれなかった・・・」
意識ある中でオレに言った言葉だけど
アンタはすげぇもんをオレに残したんだ
あの姿は・・言葉じゃなくて身に染みて残してくれた
オレがガキの頃・なんだかんだとアンタを思ってたけど
今は自分の母親を誇りに思ってる
ホントの意味での強さというものを教えてくれたんだ
これからもずっとアンタはオレの誇りだ

ただ・今でも後悔があって
オレはアンタに1回も「ありがとう」って言えなかった
自分の命を懸けて出産したのだろう
それがあるからオレは今こうして生きてるし
いろんな仲間もいるし
山あり谷ありの人生だけど
生まれてきて良かったと思っている
オレが今居るのはアンタのおかげなんだ
アンタがオレに残してくれた最大のモノは
オレという命なんだと・・・
ここに書いててさ アンタの居るトコに届くかどうか分からんが



ホントにありがとう

オレを産んでくれてありがとう

オレはこれからも

あんたの息子として

恥じないように頑張るから・・

ホントに・・ありがとう・かあさん・・


結構長く書いちゃいましたがw
コレを読んでくれた方々
自分の親に感謝の意は言ったことありますか?
言えるときに言う・伝えれる時に伝える
簡単なコトなんだろうけど結構大事だと思うです
どうか皆さんにはこういう後悔はして欲しくないです

3年が経って・・やっと振り返ることが出来たよ・・
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